サクニッキ(はてブロ版)

清水軒の特製ラーメン

20代初めの頃、汚くて美味い店を探そうと、当時の彼と探しだしたお店。
8席ほどのカウンターと、2人掛けのテーブルがギュウギュウに3席。
怖くて愛想のないおじちゃんと、やっぱりそんなに
愛想の良くないおばちゃんとで切り盛りしてた。

座っても水が出てこない。注文を聞かれない。笑顔も言葉もない。
壁に貼られた画用紙にマジックで手書きのメニューは、
ラーメン、特製、ワンタンメン、ワンタン、餃子、ネギマのみ。
確かラーメンの値段は当時400円ほどで、値段の安さにも驚いた。
そして、その美味しさにも。


通っている何年かのうちにお孫さんが生まれたようで、少しだけ愛想が良くなった。
ラーメンの値段が450円に。そのうち500円に。
孫は大きくなって、お店で見かける事はなくなって、
営業時間は開店時間が早くなったかわりに、閉店時間も早まった。
おじちゃんは、お爺ちゃんに。おばちゃんも、お婆ちゃんに。


ここ最近、手の震えが気になる。
この間行った時には初めて注文を間違った。麺が伸び気味だった。
ナルは嫌だったようだけど、アタシはそれよりも悲しかった。
行ける時に行こう。行けるうちに行こう。そう思った。


何年も何年も飽きることなく通うというのは、味だけではない。そう思った。
お爺ちゃんがいくら愛想がなくっても、お婆ちゃんが愛想にかけても、
その、隠れた中の優しさ、みたいなものが、なんとなく気付かないだけで、
どこかしら、アタシの気にいる部分があるのだと思う。


昔、家の近くにできたイートインのタコ焼きがすこぶる美味かった。
テーブルに添えつけてあるソースも、味も壺も柄杓も良かった。
だけど、店主の横柄な態度が気に入らなくて、2度と行かないと誓った。
アタシの思いとは裏腹に、たいそう繁盛してたけど、そのうち潰れた。
移転して規模を小さくして営業してたけど、そこも潰れた。
今はもっと小さなテイクアウトオンリーの店で、店主は表に顔を出さずにやってる。
そんなもんなんだと思う。


20日の昼に突然その清水軒の特製ラーメンが食べたくなって、
行ける時に行こうと思った気持ちを実行した。
ラーメンを差し出すお爺ちゃんの手の震えは少し強くなってたように思う。
一口食べたら、相変わらずの美味しさに嬉しくなった。
だけど、もう、後何年かすると、長くても10年、
どんなに美味しくても、食べたくても、このラーメンをもう食べれないのかと思うと、
涙が出そうだった。人はみんないつか死ぬんだ。今日のこの1杯が最後だってこともあるんだ。
そう思って、そう思ったら、チャーシューもスープも、いつもは食べないメンマだって、
すごく心をこめて食べた。味わい尽くすってこういうことなのかも。とか思いながら。
厳粛な気持ちで。ラーメンを食べた。食べる姿勢が違うと、味もまた、違う気がした。
美味しいのは当たり前なんだけど、特別のような、贅沢なような。
食べる。って本当はこういう事なのかも知れない。いただきますとごちそうさまの本来の意。
すごく美味しく、哲学的に、贅沢にいただきました。
また近いうちに。


翌日、TVで88歳のラーメン屋さんのお婆ちゃんを見た。
ラーメンのスープが同じような感じの、同じようなお店の。
なんだ、お爺ちゃん頑張れば後20年は食べれるかも!と少し思った。